











|
|

矢野顕子(CD「LET IT BE」ライナーノーツより)
ともこさんは私にとって智子さんではなく、はたまた柴田さんでもない。
この音楽のようなひびきを持つ名前には、特有の優しさがある。
世の中には音楽を業(なりわい)としていける人と層でない人といるように思える。
彼女は前者である。金が儲かる、たくさんの人々に受け入れられる−
そのようなこととは、まったく別の次元で、心の中にあふれるものを発したい、
ここにある音楽のよろこびをわかちあいたい、という気持ちが聴く人の心を動かす。
ここにある曲には、彼女が何年も歌ってきたものや、
新たに彼女の元に吸い寄せられてきた曲もある。
それらのどこにも「ともこさん」はいる。その優しいほほえみと共に。
林田直樹(音楽ジャーナリスト)
柴田智子ほど、正直に自分の気持ちをのせられる歌を選んで歌ってきた歌手はいない。
従来、クラシック音楽の演奏家はいつも自分が職業としてやっている"建て前"の音楽と、
本当に自分が好きな"ホンネ"の音楽をどこかでセパレートしてきたことが多かった。
そして、「私は本当はこういう音楽をやりたかったんです。
だけど私はクラシックの人間なので…」と、
様式やら環境やらのせいにしてきたような気がする。
柴田智子がすごいと思うのは、自分の本当に愛している音楽、
いまの自分の気持ちを正直に伝えられる音楽だけをいつもレパートリーに
据えてきた稀有なクラシック歌手だという点である。
柴田智子のレパートリーは、一見あまりにも多彩である。
けれど、どんな様式の歌でも柴田智子は、逃げずに正面から、
ベルカントのテクニックと持ち前の優れたリズム感によって立ち向かう。
オペラもミュージカルも、古典も現代も、ビートルズも、カーペンターズも、
ピアソラも、ジョビンも、初めて対するレパートリーも、同じように分け隔てなく、
自分の得意とする歌い方で彼女は勝負する。それは、一見無謀に見えるけれども、
本当は演奏家として一番誠実で、嘘のない、歌への愛の示し方だと思う。
私は柴田智子の歌に、いつも歌詞への共感と、
何か溢れるようないまの思いを伝えたいという、強いメッセージの力を感じる。
歌とは本来、客観的に、批評的に聴かれるべきものではなく、
コミュニケーションへの意志が流体物となって流れ出たものなのだ。
柴田智子の歌は、そんな真実をいつも私に思い出させてくれる。
だから、私は柴田智子の歌が好きだ。
ジョン・マックルーア(プロデューサー&エンジニア)
知的、まるで地元育ちのようだ。彼女のアメリカの音楽に対する理解力、認識は、
アメリカ生まれの歌い手たちをもうらやむべきものと言えるだろう。
ラリー・グラハム(ベーシスト)
私が始めてTomokoの歌を聴いたとき、彼女の歌唱力がとても豊かで、才能に溢れていると感じた。
私と私の家族は,とても気に入っている。
|
|